秘録 BC級戦犯裁判 8

第8回 ペナン裁判 (一)

マレー半島の西部、マラッカ海峡に面してペナンは位置している。英軍をマレー半島から撤退させた日本軍は各地に軍政の拠点を構え、ここペナンにも憲兵分隊が置かれた。そこでの憲兵隊の主な任務は治安維持であったが、その背景に共産ゲリラの暗躍があったことは、まず知っておく必要があろう。そうでなければ憲兵隊の行動に説明がつかないからである。戦後日本では、アジア各地の共産ゲリラの存在は意図的に隠され、とにかく日本軍が一方的に悪行の限りを尽くしたことにされているが、実際には共産ゲリラなどへの対抗措置の場合がほとんどであった。しかし、その共産ゲリラを市民にすりかえれば、一方的な日本軍の悪行に仕立て上げることなど容易いことなのである。ペナン裁判もそのような例のひとつと言える。

ペナン裁判は最初から「不公正」の空気を漂わせていた。この事件において、誰がどのような訴因で起訴されたかを知れば、誰もがこの匂いを感じることできよう。この事件で起訴された者は35名を数え、しかも一つの事件として起訴された。その起訴状は次の通りである。

「(被告等は)ペナン島のビルマ・ロードに本部を置く憲兵隊の一員として、昭和17年3月1日から昭和20年9月30日の間、ペナン島並びにバターワースに於いて、戦争の法規と慣習を反して、拘束中の囚人に対する虐待に関与し、その結果数百名を死に至らしめ、その他多くに身体的苦痛を与えた。」

何と言う曖昧な起訴状であろうか。このような具体性を欠く起訴状では、上記の3年半の間にこの組織に所属したものを全て起訴することすら可能となってしまうのである。そして実際に、階級、職務、在職時期などが異なる35名が、この起訴状の下で同一に扱われ、起訴されたのである。これは「一事件につき一起訴」という原則に表面的には則っているが、内実は明らかにこれを無視しており、弁護をしようにも具体性がないだけに困難を極めることとなった。しかも35人の被告をたった2人の弁護人で弁護したのである。かくも不利な状況に日本側は最初から置かれていたのである。

裁判長はスミス中佐が務め、検察官はトーマス少佐とサウソール少佐、弁護人は常盤、河村両弁護士が務め、昭和21年8月30日に開廷し、同年9月28日に判決が言い渡された。35名の被告のうち、東川好信少佐、寺田浄大尉、鎌田喜悦准尉、三浦一蔵准尉、涌井三郎准尉、小川敬准尉、村上誠毅准尉、清水定夫曹長、今井今朝五郎曹長、横見忠夫曹長、村上徳二曹長、和斯倖嗣曹長、永田作之進軍曹、渡邊正作軍曹、佐伯一二曹長、橋本芳一伍長、江草忠義伍長、東西寛曹長、許祺禪通訳、郭張興通訳、楊樹木通訳の21名に死刑の判決が言い渡された。その後、寺田大尉は終身刑に減刑されたが、20名の死刑は確定し、昭和21年12月17日、ペナン刑務所においてその刑が執行された。その他の被告11人には5年から15年の禁固刑が言い渡され、無罪となったものは3名のみであった。

起訴状を読むだけでは全容を全く掴めないこの事件は、一体どういったものであったのか。これから詳しく述べていきたい。

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