『「悪の論理」の現代史』8

アメリカの太平洋戦略

前回、アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan、1840-1914)について少し触れた。19世紀から20世紀にかけて、アメリカはマハンの教えに基づいて太平洋における海洋戦略を展開していった。今回はそのマハンの教えについて、もう少し詳しく述べてみたい。

その前に、マハンについて少し述べたい。マハンは1840年9月にニューヨーク州ウェストポイントで生まれた。ウェストポイントと言えば、アメリカの軍事を少しでも知っている者で知らない者はいない、そのような土地である。何故ならば、そこはアメリカ陸軍の士官を養成する陸軍士官学校の所在地として世界に名を馳せているからである。当然、アナポリスの海軍兵学校と並んで、そこから多くのエリートたちが輩出される。マハンがそのウェストポイントで生まれたというのは、その父デニス・ハート・マハンが陸軍士官学校の教官を務めていたためである。マハン自身は海軍兵学校へと進むことになるのだが、この父の存在がどれほどマハンの思考に影響したものか、知る術などないが、興味深い点ではある。

アメリカ海軍で順調にキャリアを積んでいったマハンは、1885年に海軍大学の初代教官に就任し、そこで海戦術を教え始めた。そして1890年に『海上権力史論(The Influence of Sea Power Upon History, 1660-1783)』という名著をあらわし、1892年には海軍大学の第二代校長に就任した。マハンがどれほどの影響をアメリカの海洋戦略に与えたかが伺えよう。

倉前は、マハンの『海洋権力史論』について次のように述べている。

この書は、その後の米国の外交戦略の指針となったもので、米国の世界政策があまりにもマハンの教科書どおりに進んでいることに、読者諸氏は愕然とされるであろう。

そのマハンの教えには、テーゼと呼ぶべき3つのポイントがある。

⑴  海を制する者は世界を制す

⑵  いかなる国も、大海軍国と大陸軍国を同時に兼ねることはできない。

⑶  Sea Powerを得るためには、その国の地理的位置、自然的構成、国土の広さ、人口の多少、国民の資質、政府の性質の6条件が必要となる。

世界の海軍関係者は多かれ少なかれ、このテーゼの影響を受けており、日本の帝国海軍も例外ではない。つまり、これは海洋型地政学の基本的仮説とみなされ、世界の地政学に一つの方向性を与えてきたのである。マハンは、海軍の戦術家、戦略家、戦史家として研究を続けた結果、海洋型地政学の父というべき存在になったというわけである。

そんなマハンを擁するアメリカが、太平洋そして世界の覇権を握るべく一歩一歩進んでいったことに何ら不思議はない。そして、その結果、アメリカは20世紀の後半にその目標を達成したわけである。それは海軍を抜きにしては不可能であった。

実際、マハンは次のようなことを提唱していた。

「現在、世界における典型的海軍国は英国であるが、やがて、米国が英国に代わって世界の海軍国になるであろう。そのためには、次のことをなさねばならない。」

1 大海軍の建設

2 海外海軍基地の獲得

3 パナマ運河の建設

4 ハワイ王国の併合

これが倉前が先に述べた、「愕然」の正体である。まさに「太平洋の悪の論理」と呼ぶに相応しい、そんな大戦略である。このアメリカの野望は次回以降で詳しく述べたい。

最後に、全くの余談だが、このマハンの大戦略は明らかにイギリス海軍の伝統的戦略とは異なるように思われる。マハンの戦略はかなり積極的、悪く言えば好戦的に見えるのだが、ここに、マハンの父の陸軍教官としての影響が現れているのではなかろうか。要するに、陸軍的戦略観がマハンの海軍的戦略には潜んでいるのではないだろうか。こんなことがふと頭をよぎった次第である。

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