共産主義者と悪の論理
ゾルゲと尾崎秀実は昭和十六年十月、大東亜戦争の勃発直前に逮捕されたが、その時にはすでに日米戦は不可避に近い状應であった。ゾルゲと尾崎秀実は赤軍第五部のスバイであったといわれ、裁判の結果、死刑に処された。
尾崎秀実は朝日新聞の記者として上海に駐在していた頃にソ連の出先と接触が生じ、ソ連の第一級スバイ、ゾルゲ(ドイツ系ソ連人)の配下に入ったとされているが、彼らの協力者が米国共産党の筋から来日していることをみても、その背後に米国の巧妙な工作の匂いが漂っている。
ルーズベルト大統領のニューディール政策を推進したプレーンの中には、ソ連共産党の中枢部と思想的に連繋を持っていた者が相当にいたと考えてよいであろう。
それゆえ、昭和十年代の戦争のプロモーターは米ソの両巨頭、ルーズベルトとスターリンではなかったかと筆者は疑っている。誰がいちばん、昭和十年代の戦争で利益を得たかという点を考えるならば、その仕掛人はおのずから明らかになるはずである。もちろん、毛沢東も仕掛人の一人であり、戦争で利益を得た人間である。
米国人エドガー・スノーという男も、ルーズベルトの密使ではなかったかと筆者は疑っている。いわゆる、アヒルの水かきという奴であろう。(倉前盛通『悪の論理』より抜粋)
倉前は『悪の論理』の中でこのように述べていた。
『悪の論理』が世に出た当時に比べ、現在ではこの分野における研究は大いに進展しているが、全てが解明されたというわけでもない。そもそもこの手の諜報に関することは各国政府の機密情報にも関わることなので、全容の解明など望んではいけない。ただ、ソ連崩壊によって多くの機密文書が流出したようであるから、それらの分析を見守っていく必要はあろう。
倉前が述べているように、ソ連のスパイであったゾルゲや尾崎の周囲にはアメリカ人が明らかに存在していた。これは一体何を意味するのだろうか。米ソは連合国同士の仲間なのだから当たり前だと考える人もいるだろうが、自由を国是とするアメリカにとって、共産主義という全体主義思想は根本的に相容れないものであることは歴史が証明するところである。だから、一見すると、第二次大戦における米ソ協力はわけのわからないものと映る。しかし、悪の論理はもっと単純明快な答えを提示する。米ソの協力は、一時的に米ソの地政学的利益が一致しただけのことである。そして、その目的の利益を手に入れたら、めでたく敵同士に戻っただけのことである。それゆえ、倉前はルーズベルトやスターリンに「大悪党」という評価を与えたのである。そこに毛沢東も加えられる。
この三人の大悪党に比べると、蒋介石などは大悪党たちの掌の上で転がされ、ひと回りスケールが小さいように思われる。それをよく物語っているのが西安事件であろう。倉前は西安事件について次のように述べている。
昭和十一年十一月、視察のため、西安を訪れた蔣介石は、突然、張学良軍のため監禁され、世界の耳目を集めた。張学良は日本のため満州から追い出されたあと、延安の中共軍を攻略する任務を与えられ、慣れない土地で、連日、中共軍相手の戦さで、つらい思いをしていたところであった。張学良は、早く満州へ帰りたいと毎日泣いてばかりいたという。そこで、蔣介石が前線視察にきた機会をつかまえて監禁し、対日抗戦を先にすべしと要求した。
当時、延安の中共軍は完全に包囲され、いよいよ、毛沢東以下、十二名の共産党幹部が飛行機でソ連へ亡命することになり、蔣介石の側でその飛行機を提供する話まで決まっていた。
しかし、この話も、案外、蔣介石をおびき出すための「罠」として、周恩来あたりが仕組んだ芝居であったのかもしれない。蔣介石監禁後、西安へ周恩来なども飛んできて、国共合作して、矛先を北へ向け、日本との全面対決へ進むよう、蔣介石に談判したそうであるが、当時、北京にいたエドガー・スノーからは、「蔣介石を殺してしまえ」と、しきりにいってきたそうである。これは、当時、張学良の幕僚として、蔣介石監禁の指揮をとった苗剣秋氏から直接聞いた話である。
日中を戦わせ、疲れたところを見はからって、米ソで協力して日本を叩きつぶし、太平洋の海上権力を独占しようと計画していたルーズベルトにしてみれば、日本との正面衝突を極力回避し、共産軍の絶滅に全力をあげていた蔣介石は邪魔な存在でしかなかったのであろう。それゆえ、エドガー・スノーという秘密工作員を使って蔣介石抹殺の指示を与えたと筆者は推測している。
ベトナム戦争に米国が本格介入する直前、南ベトナムのゴ・ジエン・ジエム大統領を内乱にかこつけて殺害したのは米国のCIAであり、その謀略工作に承認を与えたのがケネディ大統領であったこととよく類似している。
しかし、皮肉にも西安事変の時、「蔣介石を殺してはならぬ」と指令してきたのは、モスクワであったといわれている。スターリンは日本と中国との戦争で指導者として役に立つのは蔣介石以外にないと、ドライに計算していたのかもしれない。
面白いもので、スターリンは毛沢東より、蔣介石総統の方を人間として高く買っていたようなふしが多く見られる。(倉前盛通『悪の論理』より抜粋)
エドガー・スノーが「蔣介石を殺してしまえ」といってきたことを、張学良の側近であった苗剣秋から後年直接、倉前は聞いている。これは実に面白い歴史の証言である。アメリカは蒋介石を殺した後で誰が中国共産党と対峙できると考えていたのだろうか。ただ、少なくともアメリカにとって蒋介石が都合の良い人物ではなかったことは、スターリンが蒋介石を援助していた事実からも明らかである。もちろん毛沢東も、蒋介石を殺してしまったら日本軍に対抗できないことくらいは分かりきっていたであろう。
このあたりの国際政治の裏側にあったコミンテルンやアメリカ内部の共産主義者エージェントの動きには興味が尽きない。この手の話になるとすぐに「陰謀論だ」と言って議論すらさせない人たちがいまだにいるが、それならば、倉前が苗剣秋から直接聞いた話をどのように説明するのか、一つ伺ってみたいものである。
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