「歴史的仮名遣い」や「旧字体」といった言葉がある。今ではこのような言葉があることすら知らない人々も多くいるのではないか。教育、学問、マスコミ、行政といったあらゆる言語空間で、殆ど、歴史的仮名遣いや旧字体を見ないのだから仕方あるまい。
「歴史的仮名遣い」や「旧字体」を、これらを知らない人や「新仮名遣い」や「新字体」に満足している人々に無理強いすべきものでもないし、無理強いしてどうにかなることとも思えない。日常で使われない言語は定着しないからだ。これは英会話などにも同じことがいえよう。
しかし、「歴史的仮名遣い」や「旧字体」が公の言語空間から消えていった、否、消されていった経緯は誰もが心得て置くべきではないか。そして、それらが公から消えても、本来の仮名遣いや字体を捨てずに使い続けている言語空間が今も存在し、その中に生きる者にとって、それらの仮名遣いや字体は「歴史的」でも「旧」でもないということは指摘しておきたい。
新仮名遣いを使おうが、旧仮名遣いを使おうが、それは個人の自由であり、他人がとやかくいうべきものでもないが、旧仮名遣いを知らない人に旧仮名遣いで文章を送っても迷惑だろう。だが、新仮名遣いと新字体しか知らない人は、わずか70年前に書かれた日本語の文章が読めないということも事実で、これは文化、文明の断絶を意味する。私はその点を最も懸念するのである。だから、新旧の仮名遣いと漢字を不自由なく読み書きできる人は、少数でも、必ずいなくてはならないと考える。
旧仮名遣をも使うものとして言わせて貰えば、新仮名遣いは些か非合理的で中途半端の感がしないでもない。例えば、「言う」の否定の形の「言わず」はなぜ「言あず」ではないのか。活用の部分が「あ行」から「わ行」に変わることは果たして合理的なのか。「書く」の否定の「書かず」を見ればわかる通り、普通、活用の部分の「行」が変わることはない。旧仮名遣ならば「言ふ」の否定は「言はず」、つまり、活用の部分は「は行」のままである。「あ行」でも「わ行」でもない。また、「私は」や「こんにちは」の「は」を「わ」としないで旧仮名遣のまま使い続けているのは、やはり中途半端といえよう。
と、ここまで、前置きが長くなり過ぎたが、「旧仮名遣」や「旧字体」に関して倉前盛通はどう考えていたのか。倉前は伝統主義者であると当時に開明主義者でもあったので、もし仮名遣いと字体の変更に正統性、合理性、功利性が認められれば頑なに反対するものではないと思われるが。
では、倉前がこの問題に関してどう考えていたか、『情報社会のテロと祭祀』から抜粋してみたい。
<抜粋>
若い青少年諸君に、一字でも多くの正しい漢字を覚えること、正しい歴史的仮名遣に習熟すること、日本やシナの古典の原典にあたって、それを読破、理解しておくことをすすめたい。同時に日進月歩の情報科学について、出来るだけ、おくれぬように学習しておいてもらいたい。
最後にもうひとつ強調しておきたいことは、「新仮名遣」よりも「歴史的な正しい仮名遣」の方が、コンピューターに打ちこんで使用する際に、ずっと合理的で、スマートにプログラムが組めるという事である。我々の祖先は、いい加減な理由であのような仮名遣を残してくれたのではなかったのだ。数千年の間に、無数の人が使い、多くの試行錯誤を繰り返した後に、「これが一番妥当な活用法だ」というものに、自然におちついていたのである。それを一知半解のローマ字論者やカナ文字論者が、日本を支配していた占領軍の無知な将校をそそのかして、銃剣の圧力をかさにきて一片の政令で「まにあわせの仮名遣」を日本人に強制したものである。およそ、これほどの非民主的な独断行為はない。しかも、これが、その文法的なお粗末さのために、コンピューターのプログラムに組みにくいという思いがけぬ結果を招いてしまった。
それゆえ筆者は、まちがった新仮名遣に反対して、仮名遣を正す運動を今後も続けてゆく決心である。(後略)
倉前は、情報論の立場からも、旧仮名遣を支持していた。情報は言語を介して伝達されるのであるから、言語に対する人為的な制限は情報を歪め、そして情報社会の健全な発展を阻害する要因になり得ると考えたであろうし、ましてや、それが権力者によってなされた制限、変更であれば尚更である。しかも、当時の権力者は日本を軍事占領していたGHQである。正統性の欠けらもない。
言語空間に権力が介入することがいかに気色悪かがわかれば、後は個々人の判断に任せ、とやかく言わずともよいと思う。倉前もこの辺、楽天的であった。それが日本の伝統主義者の本質である。
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