没後三十年企画『日本「匠」の伝統』13

嵯峨野 日本「匠」の伝統
嵯峨野

倉前盛通 著 

第13回 労働と祭祀

日本では働くことは単なる労働ではなく、日本人は祭りの一環として働いているのです。外国人が、日本人は働き過ぎだとかワーカホリックだとか何とか言って、もっと休めとか定年後は悠々と暮らせばよいではないか言いますが、彼らとは世界観と言いますか、ものの考え方が全く違うのです。

例えば、秋田のまたぎのような狩りをする人たちはあちこちにいますが、そうした人たちが猟をする時には、山の神を丁重に祀り、その祭祀の一環として猟をするのです。そうして獲物を獲ったら当然、神様に感謝するわけです。そういった山の神に対する畏れとか尊敬の念を失った時には、猟師というものはやっていけなくなります。非常に迷信深いようですけれども、そういうものがあることによって、猟師というのは危険から身を守ることができているのです。慎み深くなり、軽率なことはしませんから。信仰心が深い人の方が安全だと、やはり私は思います。信仰心のない人っていうのは、つい無茶をやりますから、怪我も多いだろうと思うのです。

稲作とかその他の農耕、これも田畑の神とか八百万の神々への奉仕としての農業になるわけです。田を植えるのも、お田植え祭りとか言って、それ自体がお祭りになっているのです。ですから、あちこちの神社でお田植え祭りをやっているのです。昔は、笛や太鼓、鐘を鳴らして早乙女が苗を植えると、回りで男どもが踊っているのであります。唄と踊りが伴った祭りとして、田植えをしていました。農村における共同体の祭祀としての田植えだったのです。これは唄や太鼓、鐘がつく一種の踊りでもあるわけで、楽しみでもあったのです。

これは勿論、農作業の苦しみを和らげる作用もあったでしょう。田植えの最中、お寺の鐘が鳴ったらさっさと田植えをやめて帰るというようなわけにはいきませんから。ですから、一区切りつくまでは薄暗くなってもみんな残り、ちゃんと仕事を終えてから家に帰ったのです。日本の労働者が、終業のベルが鳴ってもさっさと帰らないで一段落するまで仕事をして帰るのも、やはり農村共同体で稲を作っていた長年の習慣からきていて、その習慣が日本人のそういう労働の仕来りというようなものを生んだのだと私は思っています。

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