没後三十年企画『日本「匠」の伝統』10

近衛邸跡 日本「匠」の伝統
近衛邸跡

倉前盛通 著 

第10回 名字と情報量

紋章と似たものに名字があります。日本の姓は、平や源、藤原、橘などが代表的なものですが、その他に大体二百五十くらいあります。中国や韓国にも、李や金、朴、張などを代表的なものとして、約二百五十くらいあるらしいです。ところが、中国や韓国はその姓をずっと使い続けてきたのです。日本ですと、平安鎌倉の頃で、平、源、藤原、橘が全体の八割を占め、その他は大伴や物部、紀などがありました。しかし、そうなると主要な四つの姓の人たちに同姓同名がたくさんできてしまうことになります。これは困ります。それで、自分の住んでいる所に因んで名乗っているうちに、それが名字になった。これが名字の始まりなのです。

現在、日本の名字は十五万あります。つまり、十五万の名字で人間を区別しているわけです。それでも時々同姓同名が出てくる。特に鈴木や佐藤、中村のように非常に人数の多い名字があるのに、明治以降は勝手に名字を作ることを禁止したので、そのままの状態になって困ってしまうわけです。昔はいろいろ自分で作ることができたので、例えば田中の家から分家ができると田中ばかり増えて困ると、分家の名字を今田中などにしたわけです。つまり、分家したことをわからせるために、新しい名字を作っていったのです。ですから、これから新しい名字を作る自由を認めていかないと、同姓同名が増えていってしまうのではないかと思います。それで間違いがあると情報社会では困るのです。名字は十五万あってもの足らないくらいなのです。

その点、韓国なんかは大変でありまして、例えば金大中さんと言ったら、例の問題の金大中さんだけでなく、電話帳で引いてみると他にもたくさんいるわけです。私がソウルに行った時に友達の大学教授に電話を掛けようと思ったのですが、住所録を忘れて行ったものですからソウルの電話帳を引くと、全く同じ名前の人が何ページも出ておりました。つまり全くの同姓同名が何千人もいるのです。これを見たらもう茫然として、とてもじゃないが掛けるのを諦めたわけです。あの人たちは一体どうやって見分けているんだろうかと不思議に思います。同姓同名がソウルだけで何千人もいたらたまったものではないと思うのですが。

それで間に合ってきた社会というのは、社会の情報量が低かったということ、社会があまり生き生きと活動していなかったことを意味するのではないかと思います。日本は中世以降、姓では間に合わなかったから名字を作り、それがだんだん増えて十五万にもなって、それで社会を運営してきたわけです。二百五十の姓で間に合った中国と韓国が近代化できずに後進化してしまったのは、社会の情報量の増大が中世以降断絶したからでしょう。特に蒙古に征服された後、情報量が急激に減少したと私はみています。

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