没後三十年企画『日本「匠」の伝統』5

日本「匠」の伝統

倉前盛通 著 

第5回 古くから使われていた鉄

次に、優れた鉄と稲作技術、農耕生産の技術に触れたいと思います。本当の稲作というのは、鉄を鍬や鋤、鎌などに使って初めてできるようになるのです。鉄を使わずに、木製の鍬や鋤みたいなものでも、湿地帯ならば何とか米は作れるでしょう。しかし、ちょっと土の固い所に水を引いて灌漑をし、耕し、水田を作るというのは非常に困難です。だから新たに森林を伐採して、新しい田んぼを開拓していくためには、よく切れる斧や鋸、鍬、鎌などが必要なのであります。そういう鉄器が農村に普及したことによって、日本の農業は大いに発達したと考えられます。ですから、鉄と稲作というのは、密接不可分の関係にあります。

青銅で作ったいろいろな銅器や銅鏡などがたくさん残っていますから、昔は青銅時代であったということが盛んに言われています。鉄というのは後から出てきたと思われているようですが、案外、鉄というのは古くから使われているのです。しかし鉄というのはすぐに錆びるものですから、跡形もなく朽ちてしまうのです。一方、銅で作ったものは後まで残ります。少しぐらい緑錆がふいて錆びても残ります。しかし、鉄で作ったものは完全に錆びてしまうのです。茶の湯の釜などでも土に埋まっていたら、五百年前のがもう跡形もなくなってしまいます。まして二千年前とか千五百年前のものならば、ほとんど残りません。余程運が良くなければ、そういうものが残る可能性は少なかったのです。ですから、証拠が残っていないものだから、もともとなかったのだと思い込んでいたわけです。最近になって、実は相当古くから鉄を使っていたということがわかってきたのです。

弥生時代には、既に鉄を相当使っていました。特に農業生産に鉄を使っていて、それが古墳時代を実現させた訳です。河内にある仁徳天皇陵、あの大きさはエジプトのピラミッドよりも大きなものです。あのような巨大な、世界最大の陵を造るほどの力というのは、余程の農業生産能力がなければできるはずがありません。それを可能にしたのが、鉄で作った農業器具だったわけです。あの陵はそれらが普及していた証だろうと思います。(つづく)

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