生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』7

西大寺の空 父と私 倉前盛通伝
西大寺の空

倉前麻須美 著 

第7回 母との思い出

今回は、数少ない母との思い出をいくつかお話してみたいと思います。

尼ヶ辻で間借りしている家の、道を挟んだお向かいは魚屋さんでした。ある日、魚屋さんにご近所のおばさん達と一緒に母親がいるのを見つけ、私は道を横切ろうと歩き出しました。次の瞬間、私はスピードを出して走って来た車に跳ね飛ばされていました。気がついたら私の体は車の後方にありました。あの頃の道路はまだアスファルトではなく、砂利道だったので埃がよく舞い上がっていたのですが、砂利がクッションの役目になったのでしょうか、足首にかすり傷ができたくらいで他は何ともありませんでした。母は私に駆け寄ると、まるで鬼のような形相で私を引っ叩きはじめました。それも皆が見ている前でです。母のあのような形相は初めて見ました。あまりのことに、車の運転手さんが止めに入ったほどでした。

普段の母は何かを作ることが好きで、いつも手芸で私を喜ばせてくれました。ある時は、黒い毛糸を長い黒髪にした等身大のお人形を作ってくれたり、また、父がとても気に入っていた濃紺のウールのセーターが虫喰いだらけになってしまった時には、その虫喰いの跡を閉じた上にピンクのボンボリをたくさんつけて、可愛いらしいセーターにリメークしてくれました。

またある時、西大寺幼稚園のお洒落で優しい先生が耳飾りの片方をなくしてしまったのですが、私はそれをお砂場の中から見つけたのです。「先生、あったよ!」と届けに行くと、先生は「ありがとうね。でも形が元に戻らないからあげるわね」と言って、それを私にくれました。それを見た母は、得意のアイデアとセンスの良さで幼稚園で使う肩掛けバッグを作ってくれたのです。ワイン色のビロード生地に黄色の毛糸で蝶々の刺繍がしてあり、その羽の中に先生からもらった耳飾りのパールのビーズが縫いつけられて、綺麗な羽の模様になっていました。

見るもの聞くもの何もかもが珍しくて、どんどん吸収していく幼少期のこれらの鮮明な体験のためでしょうか、私は今でも濃紺とワイン色が好きで、衣類もその系統の色が多いです。数少ない母との思い出の中には、いろいろな手作りが数え切れないほどあるのです。(つづく)

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