第2回 テレビ局での思い出
倉前麻須美 著
尼ヶ辻の時代の部屋の間取りは今でもありありと覚えています。階段を上がって右側の戸を開けると四畳半ほどの板の間で、卓袱台があり、奥に台所。水道がない為、バケツに水を汲んで二階まで運ぶ作業を繰り返していました。両親は大変だったろうと今でも思います。ここから西大寺、あやめ池、富雄、奈良、そして大阪の池田へと、目まぐるしい引っ越しの繰り返しでした。
その頃の両親はシナリオライターの仕事で多忙でしたので、仕事場に近い所がよかったのでしょう。富雄時代には両親に連れられて、テレビ局の入り口で父の教え子さんの女学生四人(父は学校の教員もしていました)と待ち合わせ、スタジオ内を案内してもらいました。その時のことは今でも忘れられません。当時(昭和32年)、両親の担当していた『電気のABC』と言う番組の前後に、大人気番組『赤銅鈴之助』があり、その主役の方にお目にかかれたのです。生放送のため、ちょんまげ姿でスタンバイされている時で、テレビの画面そのままのハンサムな鈴之助さんがにっこりと笑ってくれたので、大感激でした。一緒に撮って貰った記念写真が、小学低学年の私にとっては宝物でした。もう一人の方は悪役のムカデ大膳さん。テレビではもの凄く怖いのに、実物はとても優しい方でとてもびっくりしたのは、いい思い出話です。(つづく)
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