倉前麻須美 著
第1回 命の恩人
私に物心がついた頃、両親は奈良の尼ヶ辻というところで、戦争未亡人のお宅の二階を間借りしていました。幼児の頃の私は頭でっかち、典型的な幼児体型で、その階段を一人で上り終え框でほっと一息つくやいなや、あっという間に真っ逆さまに落下したことが何度もあったそうです。今にして思えば、大きな怪我をせずに済んだのが不思議なくらいです。近くに秋篠寺、唐招提寺、薬師寺があり、何度も散歩に出掛けた記憶があります。しかし、それ以外の記憶がほとんどすっぽりと抜け落ちているのです。思い出すのはいつも怖い夢を見てうなされていたこと、そしてほんの少しの不思議な体験くらいです。それはまた別の機会にお話いたしましょう。
奈良に来る前、両親は九州の宮崎で暮らしており、私はそこで生まれました。父は宮崎大学で助教授をしていましたが、学長さんと反りが合わず、辞表を叩きつけて親子三人、奈良に移転したのだということでした。まだ生後四カ月の私を暖かな宮崎から奈良盆地の寒いところに連れて行った為、私は肺炎で死にかけたそうです。父は当時貴重だったペニシリンを手に入れて赤ん坊の私のお尻に注射してくれました。「お尻にブスッと注射をしたら、お前はギャっと泣き出してね、ああこれで助かったととても嬉しかったのを覚えているよ」と私の耳にたこが出来るほど聞かされました。父は私の命の恩人でもあるのです。(つづく)
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