生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』23

第23回 富雄の家ともお別れ

楽しかった富雄の家とお別れしたのは昭和33年の暮れ頃でしょうか。引越しの理由はいろいろあったと思いますが、地盤の問題も大きかったのではないかと思います。実は、前年の夏の終わり頃、台風がきて大雨になったのですが、その時残された爪痕が少し厄介なものでした。

今にして思へば、宅地造成したばかりで、山を削った跡の山側の斜面は全く固められていませんでした。父はあやめ池での出来事のため、少しでも早く土地を決めたかったのだろうと思いますが、思わぬ落とし穴がありました。

大型が台風が過ぎ去った後、家の真後ろに置き土産があったのです。そう崖崩れです。小高い山から崩れ出た砂が、家の真後ろまでつながっていました。さらさらした砂だったため、幸いにも家は飲み込まれずに済みました。しかし、家の背面と両脇にどっさりと砂は積もっていて、高窓が開けられるぎりぎりの高さでした。

きれいな砂地でしたから子供の私はおもしろがって、西側の庭に小豆をパラパラと少し蒔きました。目につきにくいところだったこともあり、そのまま忘れてしまい、ほったらかしにしていたのですが、冬になって思い出し、西側の砂地を見に行ってみたのです。すると、何本か茶色の棒のような茎が立っていて、「ああ枯れちゃやったんだな」と棒を触ったら細い鞘がはじけて小豆がこぼれたのです。それには感激しました。こんなに簡単に出来るならもっと蒔けばよかったと思ったものです。小豆が大好物でしたから。

そんな思い出のある富雄の家ともお別れして、大阪の池田に引っ越しました。(つづく)

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