生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』19

奈良公園の鹿 父と私 倉前盛通伝
奈良公園の鹿

倉前麻須美 著 

第19回 父、怒る

翌日お世話になった産婦人科の先生と奥様にお礼のご挨拶を済ませて、家族四人であやめ池の家に向かいました。わが家に帰るのは十日ぶり位でしょうか。だんだんと遠くにわが家が見えてきます。しかし、近づくにつれ、温和な父の表情が険しくなっていきます。これは只事ではありません。

私に家の周囲を見せたくないのか、玄関の戸を開けるなりすぐに入るように言われました。私と赤ん坊の弟を奥の部屋に入れ襖を閉めたまま、父と母は別室で深刻な顔で話しあっているようでした。そして、その日の午後から夜にかけて父は出かけていき、翌朝も早くに出かけていきました。

翌朝父が出かけた後、私を学校に送り出す母は「学校に電話するからね」といいました。もう何がなんだかわかりません。そして、下校時間になった頃、あやめ池の二つ先の富雄という駅で待っていてという伝言を聞かされました。

富雄の駅に母が迎えに来てくれて、案内されたのは駅に近い仮の住まいでした。「あやめ池のお家はどうしたの?」と聞くと、もう解体して、富雄駅から離れた所にまた建て直すのだというのです。出来あがるまでここで我慢してねとのことでした。父と母の行動の早さには目が回りました。

後年、何があったのか父に訊ねたことがあります。白い柵が全部引き抜かれ、それが家の外壁にぴったりとする所まで移されていて、さらに、昔は畑のあちこちに肥溜めというのがありましたが、それが敷地内にばら撒かれていたということでした。負けず嫌いの父は自分が設計した家を乗っ取られてたまるかと、あのような行動に出たと話してくれました。いつも穏やかな父の激しい一面を知りました。(つづく)

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