生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』24

倉前麻須美 著 

第24回 池田市での生活

一年半を過ごした富雄から大阪府池田市に引っ越しました。私は小学3年の三学期に池田市立呉服(くれは)小学校に転校して、4年生の一年間はまるまるそこで過ごしました。短いものでしたが、池田での生活はとても楽しいものでした。学校まで歩いて通えるのも大きかったと思います。近所にはたくさんの子供達がいて、私はここ池田で初めて、近所の子供達と遊ぶということを経験したのでした。

自転車に乗れるようになったのも池田に来てからです。遊び友だちのお母さんがいい人で、自転車を貸してくれたのです。一人で必死に練習して、何日かして乗れるようになった時はとても嬉しかったです。

また、父母は私にバレエを習わせてくれました。その教室は一駅隣の石橋というところにあり、バスに乗って通いました。バス代は子供料金で往復10円ほどだったと記憶しています。バレエ教室に通えるのが嬉しくて嬉しくて、一生懸命皆についていけるように頑張ったからでしょうか、先生が褒めてくださいました。ただ、悩みの種は発表会に出なさいと言われたことでした。余分な出費になるので断ったことを覚えています。

このように思い出深い呉服小学校時代ですが、この頃を思い出すときは必ず校歌を思い出します。最後のフレーズで「ああ、くれはあ、 わがあ、まなびやあ」と歌うのですが、それがとても綺麗なソプラノ風で一番好きでした。子供ながらに初めて聞いた時は鳥肌が立ち、涙が出たほどです。

そんなある日、父がとても大きな丸テーブルを一人で背負って帰宅してきました。(つづく)

コメント