没後三十年企画『日本「匠」の伝統』12

日本の農村 日本「匠」の伝統
日本の農村

第12回 韓国にはいない篤農家

本学(亜細亜大学)の卒業生でアジア経済研究所から派遣研究員として、韓国に10年くらい留学した人がおられますが、その彼に、韓国の農村を一言でいえばどういうことですかと聞いたことがあります。その答えは、韓国の農村の特徴は篤農家がいないことです、というものでした。日本の農村には篤農家というのがおりまして、一所懸命百姓をやって、一反歩あたりで何俵とったとか、朝から晩まで精を出して、働くことが楽しみ、農業が大好きというような人たちなのです。大抵、日本の農村にはあちらこちらに篤農家がいるものです。しかし、そのような篤農家は韓国の農村にはいない。それが韓国農村の特徴だということです。

それは問題だと私は思いました。やはり、篤農家が生まれてこないというのは、韓国社会のどこかに欠陥があるということです。あるいは、李王朝五百年の間に篤農家が生まれる余地がなかったのかもしれません。一所懸命働いても全く報われない社会だったのでしょう。

徳川時代というのは搾取されたと言われますけれども、篤農家にはそれぞれ報われたところがありました。二宮尊徳などがそうですが、篤農家は尊敬もされたし、良い生活も送れたのです。渋沢栄一も、父親や祖父が百姓でしたが篤農家でした。相当な財産を持っていたのです。知恵を働かせてよく働けば、農民はよい暮らしができ、報われたのです。そうして篤農家というものが続々と出てきたのでしょう。いくら働いても報われないなら、働くのをやめてしまいます。ソ連の農民みたいなものです。ソ連の農民にも篤農家などいません。出てくるはずがないのです。最近の韓国にそのような篤農家が出てきたかどうかは知りません。最近は大分食料が増産されてきたようで喜ばしいことだと思いますが、長い、「報われない」歴史があるということが問題であります。

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