没後三十年企画『日本「匠」の伝統』18

倉前盛通 著 

第18回 「商は詐なり」は中国の発想

日本の商道に対して、中国には、商は詐なりといって、商いというのは人を騙して行うものだという発想がある言われます。ただ、中国人の商いというのは嘘ばかりというわけでもなく、信用が非常に重んじられる所もあるわけです。しかし結局は、商は詐である、人を騙して金を儲けるのだということになってしまう。これには儒教的なものの考え方が大きく影響しています。

日本も徳川時代は、儒教論理に基づいて徳川幕府が政治を行い、士農工商で商人を一番下の階級にしました。これは、商は詐なりという発想が徳川幕府にも多少はあったからです。ところが町人たちは、商うというのは道なんだ、商道なんだという感情を持って商いをしていました。

戦争をする場合、兵は奇なりといって、兵を動かすという時には相手を策略で騙したり罠にかけたりしなければ戦争に勝てない、という考えがあります。確かに、兵は奇なりで、相手をひっかけ騙さなければ勝てないことも多いでしょう。しかし、日本の場合、兵は道なり、となってしまうのです。剣道や柔道のように、神に仕える道義を元にしたものでなければならないようです。これは理想としては大変良いことなのですが、先の大戦でもそうであったように、あまりこういうことばかり考えていると戦に負けたりすることもあるのです。やはり、ソ連やアメリカのように、兵は奇なりでどんな謀略でも平然として使うような国の方が最後には勝ってしまう。

しかし、そういう勝ち方をして果たして長続きするでしょうか。戦後四十年経って米ソの状態を見ると、戦には勝ったけれど、経済やその他の分野では負けているのではないか、そんな気がするのです。

長い目で見ると、やはり、商は道なり、兵は道なりで理想を高く持っていなくては結局はうまくいかなくなってしまうのではないでしょうか。

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