没後三十年企画『日本「匠」の伝統』9

近江国 日本「匠」の伝統
近江国

倉前盛通 著 

第9回 シンボル操作能力と近代化

紋章というのは一つのシンボルでありますから、それを持つことでシンボルをうまく操作する能力が養われることになります。しかも、日本には表の紋と裏の紋の二つがあります。公式の紋章と非公式の紋章の二つを、素性のよい、長い歴史をもった家柄の人はたいてい持っているわけです。

乃木大将が学習院の生徒の紋章を集め、作製した本があります。それを見ると非常に面白いのですが、堂上の公家や大名、華族といった、偉くなってから何百年か経たような家には、紋が二つ出てきます。表の紋と裏の紋、少し大きな紋と少し小さな紋となっているわけです。ところが、明治維新の時に手柄をたてて侯爵とか子爵とかになった人々、いわゆる維新の功臣で、最近貴族の仲間入りした人たちというのは紋章を一つしか持っていないのです。つまり、紋章が一つしかないので、明治維新で成り上がった連中だとすぐにわかってしまうのです。

面白いのは、このようなシンボル操作能力を持つ社会、紋章をもった社会だけが近代化を成し得たということであります。これは非常に大事なことでありまして、紋章を持っている社会だけが近代化したということは、中世において情報量が爆発的に増大した所だけが紋章を持ったということと関係があるのです。つまり、紋章を必要とするような社会的条件があって、自ら紋章を生み出し、それを実際に使うような社会だったわけです。そのような社会的な条件と民衆の心理的な行動が伴って、シンボルとしての紋章が存在し得、人々はシンボルを使いこなすのです。

その数、日本だけで七千、ヨーロッパも七千ですが、ヨーロッパはドイツ、フランス、イギリスなどを合わせて七千ですから、日本の方が圧倒的に多いわけです。ですから、日本人が暗算が得意なのは当然なのです。シンボル操作能力が高いのですから。そして、このシンボル操作能力が高くないと近代化できないわけです。シンボルを操作する能力が低いグループというのはなかなか近代化しにくい。これも結局、長年の伝統でそういうものができていくのであって、急に真似をしようとしてできるものではありません。日本では、平安時代、鎌倉時代からたくさんの紋章が出てきますが、さらに、源氏の白旗と平家の赤旗のような旗の色分けもあり、シンボル操作の歴史は長いのです。

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