没後三十年企画『日本「匠」の伝統』3

日本「匠」の伝統

倉前盛通 著 

第3回 銅からみる歴史

日本の匠の存在というのは、優れた鉄と木工技術があるということを意味します。日本は非常に良い鉄を作る国でありまして、鋼のいいものを作ります。日本刀もそうですが、道具でも鑿(のみ)や鉋(かんな)、鋸(のこぎり)など、非常によく切れます。彫刻刀なども非常によく切れるものを作る訳です。大工道具がとても優れているので、細工も優れたものができるのです。つまり、優れた鉄があるからこそ木工技術が進むわけです。切れ味の悪い鑿や鉋、鋸だったら、仕上げの良い、輝くような、見事な木造建築は造りようがないのです。その素晴らしい木工技術を日本は持っている。その代表的な例が伊勢神宮であり、法隆寺であり、奈良の大仏殿であります。

 法隆寺は世界で一番古い木造建築といわれています。それがまだ残っています。伊勢神宮は二十年ごとに建て直す。二十年ごとに建て直すということは極めて重要でありまして、その意味も後で申し上げたいと思います。大仏殿は世界最大の木造建築であります。中の大仏さんも世界最大の大仏でありますが、あのように大きい大仏を銅で鋳造したのであります。鋳物として鋳型に入れて、溶けた銅を流し込んで作るのですが、大変な作業です。今から千二百年前にあれだけの大仏さんを鋳物として鋳上げたわけですから、鋳物師としての腕というのは大変なものであります。朝鮮半島でも中国でもあれ程大きな仏像を銅で鋳造などしておりません。石で作った仏像というのは、アフガニスタンあたりに大きなものがありますが、石を刻んだ訳であります。銅を溶かして鋳型に入れて作ったというのは日本だけです。しかもあの銅は全て国産の銅です。

 弥生時代に出てくる銅鉾、銅剣、あるいは古墳時代に出てくる銅鏡などを調べてみると、銅の中に鉛が少し入っています。その鉛が持っている同位元素の分布状態というのは産地によって違います。日本の地下から噴き出して、マグマが固まってできた銅の鉱石と、朝鮮半島で固まってできたマグマの鉱石、中国大陸でも北支那、中部支那、南支那、あるいは雲南の奥地など、それぞれできた鉱床、つまり地下における歴史が違うのです。この氏素性が違い、つまり鉛の同位元素の分布状態の違いも最近は科学が進歩したので、精密に調べることができるのです。現在は、だいたい一千万分の一グラムのごく微細な量があれば、同位元素の分布状態を完全に調べることができます。例えば、この銅剣や銅鉾などは、朝鮮半島の南部で採れた銅の鉱石から採ったものであるとか、この銅鏡は中国の揚子江沿岸で採れたものであるとか、あるいは遼東半島付近のものである、というように全て分かるということになります。これは日本で採れた銅であるということも分かります。和銅開宝など、日本で作ったお金というのは、明らかに日本で採れた銅で作っている訳です。

奈良の大仏の銅も全て日本で採れた銅です。同位元素の分布が明らかにそれを示しております。日本であれだけの銅をとって鋳型に入れ、仏像を作ったというだけでも大変な技術だったといわざるを得ません。もちろん大陸からも色々な技術が入ってきたでしょうが、それを見事にこなした、やり遂げたということです。(つづく)

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