運命の構造 無意識が描く未来のシナリオ

運命の構造 無意識が描く未来のシナリオ

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原題は『悪の運命学 人を動かし、自分を律する強者のシナリオ』であったが、電子版として復刊するのを機に改題した。

「悪」とは「強靭さ」のことで、これが日本人には欠けているので、世界で活躍する日本人は必ず身につけなければならない、というのが倉前の持論であった。何も「邪悪」になれというのではなく、「しぶとく」なれということである。この持論を元に書かれたのが『悪の論理』であった。

大変ありがたいことに、この『悪の論理』はベストセラーとなり、続編の『新 悪の論理』もまたベストセラーとなった。これにあやかってか、それ以降、倉前の本のタイトルには「悪」という文字が使われるようになってしまった。これは当時出版社が決めたことであるから、仕方ないのであるが…

しかし、『悪の運命学』という本を復刊するにあたり、そのタイトルがどうしても引っかかった。本の内容を必ずしも反映していないのである。倉前はむしろ、「悪」の「ますらをぶり」よりも、風雅な「もののあはれ」がいかに深層心理によい影響を与えるかを説いているのである。つまるところ、「もののあはれ」をわきまえぬ者には本当の「ますらをぶり」はわからぬのである。

であるから、この度、『運命の構造』と改題した次第である。

ただ、『悪の運命学』が出版された折に、加藤寛氏が短い文章をお寄せくださって、それが本のタイトルの「悪」についてであったので、ここにご紹介するその文章はそのことを念頭にお読みいただきたい。

世界の常識、「悪」を説く第一人者   加藤寛

倉前さんは神出鬼没である。ベトナムに奥深く入り込んだと思ったら、ベイルートをさ迷っている。ひと月で戻るのか、二カ月で帰って来るのか、定かではない。しかし、それでいて、大学の講義も決して手を抜かない。教え子たちは先生を理解し、尊敬している。その幅広い体験と、誰にも劣らない先見力は私たちにとっても、羨ましき先達である。「悪」とか、「悪魔」という言葉が平気で使われるようになったのも、倉前さんの神出鬼没性に拠っている。しかし、それが「悪」い意味で使われないのは、倉前さんの人柄による。およそ悪とは縁遠い明るく闊達な人だからである。今や倉前さんの地政学は海外にも知られている。日本では私も友人の一人だが、海を渡れば倉前さんは遠く高い存在になる。日本では強い悪人はいないが、世界では「悪」は常識だからである。

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