倉前盛通 著
第4回 大仏殿にみる技術
しかも木造建築としては、当初の大仏殿の方が現在のものよりも大きいわけです。現在の大仏殿は元禄時代に再建されたものであります。最初の大仏殿が源平の戦いの時に焼けまして、それを源頼朝が再建しました。その再建された大仏殿は、松永弾正の乱で燃えてしまい、それを元禄時代に再建したものです。つまり三度目の再建なのです。しかし、戦国時代に城なんかを作って、だいぶ山林が荒廃しておりましたので、日本国中探しても奈良の大仏に使える様な大きな材木はもうなくなっていました。ですから、奈良の大仏殿の柱というのは、全部、寄せ木細工を鉄の輪で締めて柱に立てたものなのです。それほど木材が貧弱になっていたわけです。
しかし、棟に乗せる木だけは一本の木でないといけませんので、それを日本国中探しました。すると薩摩に一本あったのです。薩摩で切り出して、船で瀬戸内海をずっと引っ張ってきて、難波にあげて、そこからコロコロとコロの上を転がして奈良まで持ってきて、あの棟に上げたというわけです。その時の木材の長さが今の大仏殿の長さであります。創建当時は現在よりもっと大きかったということです。
千二百年前にそれだけの巨大な木造建築を造り得たというのは、たいへんな木工技術があったということです。大仏殿の上に乗っている瓦も、机の大きさ位ある大きな瓦です。それが膨大な数で乗っているわけです。その重さだけでも大変なものですが、そういうものをきちんと作って上に乗せたわけで、その技術というのは大変なものだったのです。銅で大仏を鋳造する技術も大変なものでしたが、大仏殿を造る技術もそれに劣らぬ高度なものだったのです。(つづく)
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