悪の論理

『悪の論理 地政学とは何か』

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『悪の論理 地政学とは何か』が出版されてから、41年が経過しようとしている。当然ながら、その間に世界は大きく変わった。その一方で、変わっていないこともある。したがって、世界はどのように変化したのか、一度、頭を整理して見るのもよいのかもしれない。国際情勢の分析に定評のあった倉前が40年前に予見した「世界」と今私たちが生きている「世界」とを、40年後の今、見比べてみるのも面白いかもしれない。倉前の国際政治学者としての力量が窺い知れよう。

本書『悪の論理』は地政学の入門書である。ということは、地政学は「悪」なのかという疑問も浮かんでこよう。倉前曰く、地政学は「悪」人の論理である。しかし、本書の中で倉前が定義する「悪」は一般的な「悪」とは異なる。本書の中で倉前は次のように述べている。

日本人は昔から「悪」という言葉に、強靱で、しぶとく不死身という意味を持たせていた。つまり「ええ恰好しい」ではなく、世の毀誉褒貶や、事の成否を意に介せず、まっすぐに自己の信念をつらぬいた人の強烈な荒魂を、崇め安らげる鎮魂の意味で「悪」という文字を使用してきた。これは日本人の信仰の深淵に根ざすものかもしれない。

日本の社会は昔から女性的で優美な「もののあはれ」という美学を、生活の規範としてきた社会であり、男性的な硬直した儒教論理や、キリスト教、マホメット教のような一神教的男性原理によって支えられている社会ではない。それゆえ、男性的な行動原理に身をおくとき、日本の伝統美学から、やや遠ざかっているという美意識が生じてくる。それゆえ、一種の「はにかみ」をもって、「悪」とか、「醜(しこ)」と自称したのであろう。(『悪の論理』第二章)

つまり、地政学とは、「強靭でしぶとい」者たちの世界を動かす論理と言えよう。

その昔、現在ではイタリアと呼ばれる国は小国の分立する地域で、常にフランスなどの大国からの圧迫を受けてきた。そこで、イタリアをまとめ上げることのできる強い「君主」を待望する学者が現れた。ニコラ・マキャベリである。彼の著作『君主論』は現在の国際政治学でも必読の書として扱われ、「リアリズム」の元祖とされている。これを一言で説明すると、マキャベリは政治から道徳的価値観を排除した、ということになる。これは英語で「amoral」というのだが、「道徳的」でも「不道徳」でもないということである。

このマキャベリの論理に反発したのが、キリスト教会であった。教会は、神から伝わる道徳的価値観を以ってたびたび政治に介入してきたからだ。したがって、教会はマキャベリの『君主論』を「悪魔の書」と呼んだ。

その昔、倉前の『悪の論理』も「悪魔の書」と呼ばれたことがあった。誰がそう呼んだかはご想像にお任せするが、倉前自身は全く意に介さなかった。そもそも、その「しぶとさ」がなければ「悪」の論理など思いもつかなかったであろう。

この40年で日本人はどこまで「悪」の論理を取り戻せたのだろうか。

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