日英関係

日英関係

蒋介石の背後に宋美齢 その2

ナッチブル・ヒューゲッセン英大使との会談で、宋美齢は次のように述べた。これは、蒋介石の言葉の通訳ではなく、彼女自身の言葉として大使は英本国に報告している。 Madame Chiang Kai-shek carried the point r...
日英関係

蒋介石の背後に宋美齢 その1

南京のナッチブル・ヒューゲッセン英国大使がウィリアム・ドナルドに書簡を送る前の1937年5月10日、同大使は本国に電報を送っている。その内容は、5月8日に行った蒋介石総統との会談内容の報告であった。この電報には興味深い点がいくつかある。まず...
日英関係

蒋介石が英国に要請した軍事協力

Knatchbull-Hugessen's letter to W.H. Donald, p.6. 1937年5月に行われた英大使との会談で、蒋介石は英国に経済協力と軍事協力を要請したのだが、今回は軍事協力についてもう少し触れてみたい。ナッ...
日英関係

日英中の三角関係

1930年代に徐々に悪化していった日英関係だが、初期の段階ではまだ、日本と中国の間で英国が対応に苦慮する時期もあったようだ。しかし、これが段々と中国側に傾いていく。その中で重要な役回りを演じたのが、豪州人ジャーナリスト、ウィリアム・H・ドナ...
日英関係

幻の第二次日英同盟

最近の英国のインド太平洋回帰の動きを、日英同盟の復活と見る向きもあるが、英国はもっと大きな視点でインド太平洋を見ていると思われる。とは言え、日本が西太平洋における重要なパートナーであることには変わりはない。日英の連携は歓迎すべきことである。...
日英関係

満州事変 資本主義vs共産主義

満州事変の当時、日本の政治家や軍人たちは何を考え行動していたのだろうか。米国を中心とする勢力は「日本は世界征服を計画している」などと盛んに宣伝したいたが、日本の立場からすれば、大陸からどんどん押し寄せてくる共産勢力をなんとかして食い止めたい...
日英関係

満州事変 英国の見方

戦前の日英関係は同盟を解消した後、1920年代に悪化の兆候が見られ、30年代になると亀裂は決定的となる。その亀裂の端緒になったのは、やはり1931年の満州事変である。東京裁判では日本の「世界征服」のための第一歩などと断罪された満州事変だが、...
日英関係

英国陸軍の元帥でもあった天皇陛下

昭和12(1937)年1月7日、在東京英国大使館附武官ピゴット少将は、寺内陸軍大臣宛の書簡で帝国陸軍への年賀の祝意を表したが、興味深いのは、それに添えられていた昭和天皇への祝意の文面である。それは以下の通りである。 英国陸軍の元帥であらせら...