生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』26

倉前麻須美 著 

第26回 可笑しな体験

四年生になった途端、私はまた病気がちになってしまいました。ものもらいで眼科に行ったのをかわきりに、中耳炎で耳鼻科に行き、耳朶の裏にできものが出来て、それが体のあちこちに広がり皮膚科にも行くわで、多少大げさな表現になりますが、満身創痍の状態でした。学校も長い間休んでいました。そんな時、担任の女の先生がお見舞いに来てくれたことを覚えています。

先生の下の名前が「きんこ(金子)先生」ということは記憶に残っています。珍しい名前でしたので印象深く、忘れられません。実は、きん子先生を忘れられない理由は他にもあります。四年生になってすぐに作文を書く授業があり、学校での出来事やきん子先生のことを少し書いたのですが、その作文を先生にすごく褒めてもらえたのです。奈良女子大付属小学校の時は落ちこぼれで、褒められることなどなかったので、「簡単に書いたこんな作文を褒めてくれるの?」とびっくりしたことを覚えています。

しかしその後に、医者通いで学校を休むことになってしまったわけです。その時は悦子お姉さんにもずいぶん迷惑をかけました。毎回病院に付き添ってくれたのです。また、この頃は常に頭痛がひどかった記憶があります。ある時、頭痛がひどくて学校を休んだ日のことです。私は悦子お姉さんのお味噌汁が大好きで、食欲がなくても飲んだのです。そうしたら、飲んだものを戻しそうになって、台所の流しに急ぐも間に合わず、ついに戻してしまいました。すると不思議なことに、胃の中のものがピューっと二メートル位先まで、ものすごい勢いで飛び出したのです。まるで水鉄砲のようでした。戻した本人も大変でしたが、その後始末に悦子お姉さんはもっと大変だったろうなと思います。

あんな戻し方はあの時の一度だけです。私は胃の中に何かがいて飛び出したのかなと勝手に想像していました。それくらい口の中から飛び出す勢いが凄かったのです。しかもその勢いは最後まで続いたのです。これは私の中の不思議系ファイルに入っている話です。(つづく)

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