倉前は昔、小室直樹氏との共著で『世界戦略を語る』という対談本を出している。かなりくだけた内容で、時々笑いを誘う場面もあり、面白く読むことはできる。これが対談本の醍醐味というべきであろうか。
さて、『世界戦略を語る』の中で二つばかり興味深い話を見つけたので、今日はそれについてお話ししたい。この二つともスパイ関連の話である。
一つは、小室氏と倉前がソ連のハニートラップの話題で盛り上がっているところで、倉前が述べたことである。対談当時の昭和60年から7、8年前のこととして倉前がいうには、首相のブレーンの一人がハニートラップのためにソ連のスパイになっていたのだという。もちろん警察も知ってはいるが、それ以上は何もできない。
情報の世界の住人の一人として倉前のところにもこのような情報が伝わってきたのであろう。その他、大マスコミの記者たちもスパイになっていたそうだが、然もありなん、何の驚きもない。日本の政、官、マスコミ界はゾルゲ事件の頃から何も変わっていないのである。それにしても、昭和52年、53年当時の首相のブレーンとは一体誰であったのか。福田赳夫の側近でソ連と関わりのある人物と言えば・・・。
もう一つの話は、先の大戦中は陸軍参謀、戦後は政治家として活躍し、東南アジアのラオスで失踪したまま遂に帰らなかった、辻政信に関するものである。倉前曰く、チャーチルが第二次大戦の回顧録を出した折、辻政信がチャーチルに手紙を出したという。その手紙には、シンガポールにいた10万の英軍がわずか3万の日本軍に降伏した記述が回顧録にないがどうしたのだ、ということが書かれていたそうで、これに怒ったチャーチルのため、辻政信はラオスに渡った際に英情報機関によって暗殺された、というのだ。もちろん、倉前はこれを伝聞として伝えているのだが、辻をよく知る情報関係者から伝わってきた話のようで、実際、辻が行方不明のまま死亡認定されていること考えれば、荒唐無稽な話とも言えない。
この辻政信の噂話は確かめようがない。しかし、先の大戦の歴史、それも南方における日本軍と英軍の関係を研究する小生にとって、何か、腑に落ちる感じがするのである。これは小生の憶測に過ぎないが、辻の手紙によって英当局は、やはり辻は彼らにとっての重要な「戦犯」であるとの認識を新たにしたのではないだろうか。英国人は日本人の想像が及ばぬほど執念深い人々である。戦後取り逃がした「戦犯」が自分たちの手の届くところに入ってきたら、彼らはどのような行動にでるであろうか。もちろん戦犯裁判は既に終わっているから裁判にはかけられない。では・・・。
スパイ情報を実際に確かめることはできないだろうが、補助線を引いて考えてみることもやはり必要ではないか。
九平次
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